目眩帳

主に東洋古典を自分の言葉で噛み砕いてくブログ。たまに俳句を詠んだり、他の記事も書きます

3の壁を越えろ 老子現代語訳に挑戦 9

前回の続き

kamata-ei.hatenablog.com

老子 上篇 第二十七章

優れた旅をする者は、轍や足跡を残さない。優れた発言をする者はその発言に欠点が無く咎められない。優れた計算をする者は計算道具を使わない。扉を閉める事に優れた者は閂を使わないが、その扉をこじ開けることは出来ない。物を結ぶ事に優れた者は縄を使わないで結ばれた物を解きほぐすことが出来ない様にする。このような感じで聖人は、いつも人を救うことが出来る。だから聖人は人を見捨てることは無い。いつも多くの物を救うことができる。だから物を見捨てることは無い。このことは、聡明を繰り返すことと、言われる。従って、善人は不善の人には手本となり、不善の人は善人が動くきっかけとなる。その手本を大切にせず、その動くきっかけを愛さないのならば、知恵者と言えども大いに迷うだろう。これが物事の本質の重要なところであると言える。

第二十八章

剛強を知った知って上で柔弱であり続けられば、天下が集まる谷となる。天下が集まる谷となったら、不変の徳は離れなくなり、赤子の様な状態に戻ることが出来る。輝かしいことを知った上で、人目につかないことを守り続ければ、天下の手本となる。天下の手本となれば、不変の徳を間違えることが無く、無限の境地に戻ることが出来る。栄光を知った上で、恥辱を何とも思わなければ、天下の大河となる。天下の大河となれば、不変の徳は充足し、新木の状態に戻ることができる。新木はバラバラになると多くの器となる。聖人は新木からできた器を使い、役人たちの長となる。まさに「巧みに肉を切り分ける者は、儀式の時に必要な内臓を傷つけるようなことはしない」とは上手い言葉と言えよう。

第二十九章

天下を獲り治めようとする者が、途中であきらめる様子を私は見たことが無い。天下は神聖なものであり、何かできるというものでは無い。何かをしようとする者は敗れ、天下獲りに固執する者は多くのものを失う。あるものは行き、あるものはその後につき従う。あるものは緩く息を吹き、あるものは強く息を吹く。あるものは強く、あるものは弱い。あるものは積み上げるも、あるものは崩してしまう。この法則に従い、聖人は度を超すことから離れ、贅沢から離れ、驕り高ぶることから離れる。

 

 

続く