哲学ナックルダスター

主に東洋古典を自分の言葉で噛み砕いてくブログ。たまに俳句を詠んだり、他の記事も書きます

3の壁を越えろ 老子現代語訳に挑戦 7

前回の続き

kamata-ei.hatenablog.com

老子 上篇 第二十一章

大きな徳のある人の様子だが、ただ「道」に従っているだけだ。「道」は、ただぼんやりしており、ただかすかにしか見えない。かすかでぼんやりしているが、その中にはかたちがある。ぼんやりしていてかすかであるが、その中に実物がある。奥深く暗いものだが、その中に光がある。その光は偽りが無く、その中に誠実さがある。古より今に至るまで、「道」というものの名は消え去ること無く、我々の祖先達を通り過ぎて行った。私が何故「道」が祖先達を通り過ぎて行ったことを知っているのか。これは直感である。

第二十二章

古くからの言葉に「曲がったものには欠点が無い」というものがある。曲がれば真っ直ぐになる。窪みがあれば満たされる。服がぼろぼろになれば新しくなる。僅かな物しか持たない者は得ることになり、多くの物を持つ者は心が乱れる。だから聖人は全ての物の根元である「一」を心に抱き、天下のお手本となる。自分の存在をはっきりと示さないので、みんながはっきりと見分けることができる。自分を良しとしないので、人となりが世に明らかになる。自分を誇らないので、成功する。自分の成功を誇らないので、尊敬される。争うことをしないので、天下の人は聖人と争うことが無い。古の言う「曲がったものには欠点が無い」という生き方をする人が欠点の無いまま人生を終えられるのだ。

第二十三章

多弁で無いことの方が自然である。同様に激しく吹き荒れる風も翌朝に止まないということは無く、突然の雨も終日降り続けることは無い。これをやるのは誰か。天地である。天地ですら風や雨をいつまでも続けさせることができない。ましてや人なら、尚更のことである。「道」に従って行く者は、「道」と同化していく事だろう。徳に従って行く者は、徳と同化していく事だろう。徳の無さに従って行く者は、徳の無さと同化していく事だろう。「道」に同化していく者が出てくれば「道」はありがたく喜び、徳に同化していく者が出てくれば徳はありがたく喜び、徳の無さに同化していく者が出てくれば徳の無さはありがたく喜ぶだろう。信頼が足りないのは、信じることが出来なくなるような事をするからだ。

 

 

続く