哲学ナックルダスター

主に東洋古典を自分の言葉で噛み砕いてくブログ。たまに俳句を詠んだり、他の記事も書きます

3の壁を越えろ 老子現代語訳に挑戦 6

前回の続き

kamata-ei.hatenablog.com

老子 上篇 第十六章

虚しさの境地の極限に達し、静かであることを堅く守ることだ。万物がみな生じ盛んになるのを私は先に述べた二つのことによって万物が何処に帰って行く様子を眺めていく。草葉が茂り花を咲かせても、みなその根元に帰って行く。根元に帰ることを静けさと言い、これを天の定めに委ねると言う。天の定めに委ねることを平常と言う。平常を知ることを聡明と言う。平常を知らないと、道理に外れたことばかり行い、災難に遭ってしまう。平常を知る者は全てのものを包み容れることが出来る。これが出来る者は公平であり、公平な者こそ王であり、王である者は天である。天であるということは「道」である。「道」はいつまでも変わらないので「道」の体得者は死ぬまで危険に晒されることは無い。

第十七章

最も優れた君主は臣下達はその存在を知っているだけである。次の君主は臣下達は君主と親しみ君主の偉業を褒めたたえる。その次の君主は臣下達は恐怖や独裁政治によって君主を恐れるようになる。その次の君主は、臣下達に馬鹿にされている。信頼が足りないのは、信頼される行いをしていないからだ。物事に無関心な態度でいて軽々しい言葉は使わずに言葉使いを大切にすれば、事業は成功し、その成功について、民や臣下達は「自分達が成し遂げた事だ」と言うだろう。

第十八章

「道」が廃れてしまったので、仁や義といった教えが出てきた。知恵者が出てきてから、人々は悪だくみをするようになった。父子兄弟夫婦の不和が当たり前になったので、孝行息子が注目されるようになった。国が乱れているのが常になってきてから忠臣がもてはやされるようになった。

第十九章

英知を絶ちきり知恵を捨てよう。そうすれば民達の幸せは百倍になるだろう。仁を絶ちきり義を捨てよう。そうすれば民達は愛情や孝行を取り戻すだろう。物つくりの技術を絶ちきり商売の利益を捨てよう。そうすれば盗賊が現れることは無いだろう。前述の三つのことが実行された後、民達が不足を感じるようならば、民達に以下の物を持たせよう。何色にも染めてない白い絹布を纏わせて切り出したばかりの新木を持たせよう。そうすれば民達の我欲は少なくなり、物欲も少なくなるだろう。

第二十章

学問を絶ちきれば憂いは無くなる。「はい」という返事と「ああ」という返事では、どれほどの差があるというのか。善と悪とではどれほどの差があるというのか。「人が恐れることは、恐れないということはできない」とは言うが、恐れが潜んでいるであろう果てしない荒野を知り尽くすことは出来ないことだ。多くの人々は喜び、お祭りのご馳走を食べて春に物見台に登っているかのようだが、私は只一人動かず何かするという兆しも見せない有様は、まだ笑ったことの無い赤子の様である。疲れてぼんやりとしており、帰る場所も無く彷徨っている様である。多くの人は皆、余る程物を持っているが、私は只一人全ての物を失ってしまったかの様である。私の心は愚者の心の様である。私の心は鈍いのだ。世の人々は皆明るい気持ちだが、私は只一人暗い気持ちだ。世の人々は俗世間の事情に詳しく話しているが、私は只一人、心を塞いでいる。私の心は海の波の様に揺れ、空高く吹く風の様に止むことが無い。世の多くの人は皆、取り柄が有るとういうのに、私は只一人頭の鈍い田舎者の様である。私が只一人他の人達と異なっているのは「道」に養われることを自覚し、そのことを大切にしていることである。

 

 

続く