前回の続き
北渓字義 二十五章 鬼神(全39節)
二十五-13
范祖禹は「其の誠有れば、則ち其の神有り、其の誠無ければ、則ちその神無し」と最もよい説き方をしている。
誠は真実無妄ということで理からいうが、心についてもいう。
必ず実理が有り、そのうえで敬意を尽くし、実心を加えるなら、神は必ず祭祀を受ける。
祭ってはいけないものを分を越えて祭ったのは実理がないことであった。
二十五-14
人と天地万物
みな、天地間にある公共の一元気からできている。
子孫と祖先
公共の一元気の中でも特に深く親密な関係にある。
謝上蔡「祖考の精神は、便ち是れ自家の精神」
子孫が誠敬の心を窮め尽くせば、自分の精神が集中し、祖先の精神も集中してやってくる。
今の人
自分の祖先を祀るという大切なことをいい加減に行い、他の鬼神を祀る時には誠敬の心を尽くしている。
自分と何の関係も無い鬼神を祀っても血のつながりの無い神ならば、祭りを受けず、自分と交わり合うことは無い。
これが淫邪な神ならば、お供え物の盗み食いをされるだけで、何の御利益も無い。
続く