前回の続き
北渓字義 二十四章 義利 の続き
二十四-9
人情に従うということについて
どんなことでも、理として当然のことを考慮せず、ひたすら人情に流されて決断を下すことが出来ない→利
二十四-10
効果を待ち望むことについて
『論語』の「難きを先にして獲ることを後にする」
→まず自分自身が当然果たすべきことを果たして、その効果は考えない。
董仲舒は『漢書』の中で「仁人は、道を明らかにして功を計らず、誼を正して利を謀らず」と言った。
漢以来、董仲舒のように、はっきりとした見識を持った者は一人もいなかった。
二十四-11
外のものを慕うことについて
今の科挙の学問は全く外のものを慕っている。
子どもの頃から科挙に合格する準備をして、合格するまで年をとってもやめない。
その一方で我が身にとって最も大切な義理については全くの無頓着。
若い時に科挙に合格すると、少しでもいい地位にありつこうとすることばかり考えている。
そんな学問は一生かかってやっても全くの絵空事。
古の学問は己の為にし、今の学問は人から名声を得る為にする。
己の為→外のものを慕うことが無い。義である。
人から名声を得る為→外のものを慕うことが有る。利である。
義と利ははっきりと区別しなければならない。
はっきりと区別しないと利が義の様に見え、義が利の様に見え、全く五里霧中の状態になる。
最後は利の中に落ち込み、義が全く見えなくなってしまう。
これで 二十四章 義利 は終わり。
次は 二十五章 鬼神 から
続く