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北渓字義 二十四章 義利(全11節)
二十四-1
義と利は対になっているが相反している。
義から離れるとすぐに利に入る。
義と利の違いは極めて微妙。
義→天理の宜しきを得たもの。
利→人の感情が欲するもの。
欲→自分のものにしようとする欲。
天理の宜しきを得たものは人の感情が欲するものではない。
人の感情が欲するものは天理の宜しきを得たものではない。
人の感情が欲するものは天理の宜しきを得たものと合致しない。
天理の宜しきを得たものは公。
人の感情が欲するものは私。
自分中心に勝手我儘なことは利である。
二十四-2
古の人の租税→井田法による租税だけだった。天下国家の経常費にあてる為に必要だった。
これ以外の山林川沢は全て国民と共有した。私物化しなかった。
聖人が天下に君臨した時は天下万民の希望に応えることを優先させ、自分の利益のために天下を支配しなかった。
万事はみな天下の大義という公の立場で行われた。
土地を分割して、多くの国を造り、有徳者や功労者たちと共有した。
与えられた田地
王畿→千里
公爵、侯爵→百里
伯爵→七十里
子爵、男爵→五十里
庶民→百畝
孟子の言葉
「一不義を行い、一不辜を殺して而して天下を得るは、皆為さざるなり」
これは聖人の心に備わっている大義を最もよく説いている。
天下は極めて巨大で、一不義を行い、一不辜を殺すことは極めて微小なことだが、極めて巨大なもののために極めて微小なことを犠牲にしようとしなかった。
この心が義であり、利益を求めようとする意思が少しも無かった。
後世の君主→天下を自分の私有物としている。
これだけでも利であるが、あらゆることが利の為に行われている。
封建制度を破壊して郡県制度によって天下の権を全て自分のものにしようとした。
天下の田地を区分して民たちに授けることが不可能になった。
結果、民たちは自分の力で土地を買って暮らす一方、役人はその際に手数料を徴収した。
秋と夏に徴税するようになってからは、租税の種類が極めて多くなった。
茶、塩、酒などの民の日常の暮らしに欠かせない物まで、全て君主の所有物とした。
全て自分の利益のためという立場から行われ、その行いには少しの義も無かった。
続く