前回の続き
北渓字義 二十三章 経権
二十三-4
権とは、臨機応変な適切な処置を行い良い状態にすること。
『中庸章句』の「君子にして時に中す」→中が権となる。
「天地の常経」→経
「古今の通義」→権
二十三-5
権と中の区別について
中を知ってはじめて権を用いることが出来る。
権を用いてはじめて中を得ることが出来る。
中→理として当然あるべきことで、過不及がないこと。
権→事柄を量り、中の在り方を求め、過不及が無い状態にするための方法。
二十三-6
天下の事は、経が及ばないところまでくると、障害が生じるが、権を用いるには、物事の道理に明るく、事柄の正しい処置に精通している者でなければならない。
『朱子語類』より
「状況を正しく理解しないと権を用いることはできない」
これが権を用いるのが難しい理由だ。
二十三-7
隋の王通の『文中子中説』より「権義挙がりて、皇極立つ」
→説き方が不十分。権にも経にも義が必要。
経が必要な時には必ず経を用いる、権が必要な時には必ず権を用いるという事を量り考え良い対応をするのが義である。
経と権、どちらにも義がなければいけない。
唐の太宗が皇太子を殺害した→権を用いてはいけないのに権を用いた。
皇太子が殺害されたままにして、魏徴や王珪が太宗に仕えた
→経を用いてはいけないのに経を用いた。
歴史上、過去に起こした事で、経を用いてはいけないのに経を用い、権を用いてはいけないのに権を用いた結果、天下が混乱したり、最後は悲惨な目に遭っている。
これは、経や権を用いる時に義に精通していなかったからだ。
これで 二十三章 経権 は終わり。
次は 二十四章 義利 から
続く