哲学ナックルダスター

主に東洋古典を自分の言葉で噛み砕いてくブログ。たまに俳句を詠んだり、他の記事も書きます

北渓字義ノート 53 二十三 経権(1~3)

前回の続き

kamata-ei.hatenablog.com

北渓字義  二十三章 経権(全7節)

二十三-1

経と権は相対している。

経→日常生活の中で常に行っている道理。

権→経の及ばないところを救う正当な道理。日常生活の中で常に行っているものでは無い。

二十三-2

権の字の意味

秤の分銅からとってきた。

分銅は物の軽重を量りつり合いがとれるようにする。

ここから権と名がついた。

権は変でもある。

秤のつり合いがとれない時は、分銅を左右に移動させて物とのつり合いがとれるようにする。

人が権度を用いて事物に過不及の無いように求めるのと同じ。

二十三-3

経の及ばないところに権を用いて通るようにしなければいけない。

権を用いるには優れた見識が必要だ。

物事の道理に明るく、事柄の正しい処置に精通していなければ、誤差が生じてしまい、権が必要な時があってもそれに気づかない。

経が行き詰ったら必ず権を用いなくてはいけない。

柳宗元が『柳河東集』で「権とは経を達する所以なり」と、良い説き方をしている。

経が行けるところまで行って、それ以上は経だけで進めなくなったら権が用いられる。

君臣の関係が定まっているのが経。

桀王や紂王の暴政で天下が荒れ君臣の義は行き詰った。

湯王や武王が武力で桀王や紂王を討ち破ったのは権という非常手段を行なった。

聖人のように、物事の道理に明るく、事柄の正しい処置に精通している者によって、はじめて権を間違いなく用いることができる。

 

続く