目眩帳

主に東洋古典を自分の言葉で噛み砕いてくブログ。たまに俳句を詠んだり、他の記事も書きます

北渓字義ノート 48 十九 皇極(1~4)

前回の続き

kamata-ei.hatenablog.com

北渓字義  十九章 皇極(全4節)

十九-1

書経』で出てくる「皇極」

皇→君主のこと

極→一身を天下万民の至極の標準とすること

君主として中央の位置に立った場合に身を正して、四方の民の模範となるので皇極という。

君主としての徳

徳は至極のものになり、それ以上付け加えるものは無い。

孝→天下の孝を極め尽くす。

弟→天下の弟を極め尽くす。

徳がその至極の状態を極め尽くし天下万民が模範とする。

十九-2

詩経』で「我が烝民を立(粒)するは、爾の極に匪ざる莫し」と説き、更に大麦小麦について説いている。

后稷は民に農業を教え、民も后稷の教えを準則としていた。

十九-3

皇極→世界の大宝と言われる場合がある。

これは崇高な位について言っている。

天子の位

最高の位であり、四方の民が尊び仰ぎ、これ以上付け加えるものが無い。

なので大宝といい、また宝極とも言われている。

詩経』の「商邑は四方の極」

→商の都が天下の中央に位置することで四方の極となっており、四方のものが集まり、ここまで来るともうこれ以上はどこにも行けないということである。

十九-4

孔安国が皇極を大中と解釈して以来、みな孔安国の説に慣れ従い、古の人が皇極という文字の意味が全く分からなくなってしまっている。

 

これで 第十九章 「皇極」 は終わり。

 

次は 第二十章 「中和」 から。

 

 

続く