哲学ナックルダスター

主に東洋古典を自分の言葉で噛み砕いてくブログ。たまに俳句を詠んだり、他の記事も書きます

北渓字義ノート 45 十七 徳(1~3)

前回の続き

kamata-ei.hatenablog.com

北渓字義  十七章 徳(全3節) から

十七-1

道→天地の中にある本然の道なので人が工夫するところから論じない。

徳→徳の本然の道を行ない、本当にわが心に得たものが有るので人が工夫するところから論じる。

人が工夫して既に到達しているところについて論じる。

工夫によって本当に自分が得たものについて論じる。

今まさに工夫ををしている時に論じるもので無い。

十七-2

礼記』の「徳は得なり」のように、「得」から離れることは出来ない。

古の経書

多くの場合、工夫をして何かを得ることだと説いている。

一方、本源来歴について論じている場合もある。

『大学章句』の「明徳」

人が生まれた時、天から得たもの。本来は光明の理が人の心に備わっているという事。

『中庸章句』の「達徳」

古今天下の全ての人の心が、全く同じように得ているものの事。

孟子』の「懿(い)徳」

天理という純粋で美しいものを得ているという事。

『中庸章句』の「徳性」

人間が天から得た正理の事。

『中庸章句』の「天徳」

天からの理が公共のものとして天にあるという事。

天道のはたらきがあまねく行き渡り、万物がはたらきを得る事も天徳という。

人について論じるならば

人が天の理を得て生まれるのも天徳。

行為が純粋に天理の真を得ており、偽が少しも混じっていないのも天徳。

十七-3

道と徳

はっきり区別できるような二つのものでは無い。

道→公共のもの。

徳→本当に我が身に得て、自分の所有物になったもの。

 

これで 第十七章 「徳」 は終わり。

 

次は 第十八章 「徳」 から。

 

 

続く