前回の続き
北渓字義 十六章 理(全3節) から
十六-1
道と理→ほぼ同じもの。
二字に分けている以上は区別する必要がある。
道→緩やかで永久に人が通行するもの。
理→確実で、確定していて永久に易(かわ)らないもの。
理には姿形が無い。
事物に備わっている当然の法則が理である。
「則」→準則・法則のこと。確定していて変わらないという意味がある。
事物に備わっている当然そうしなければいけないところが「当然」。
ちょうど程良く、少しの過不及がないのが「則」。
以下『礼記』より
「君と為りては仁に止まる」→仁に止まるのが主君になった者の当然の則。
「臣と為りては敬に止まる」→敬に止まるのが臣下となった者の当然の則。
「父と為りては慈に止まり、子と為りては孝に止まる」
→慈と孝が父となり子となった者の当然の則。
「足の容は重し」→重々しいのが足の姿形の当然の則。
「手の容は恭し」→恭しいのが手の姿形の当然の則。
「尸の如くす」→座った時の当然の則。
「斎するが如くす」→立った時の当然の則。
古の人の格物窮理
事物について当然の則を窮めようとした。
当然そうしなければいけないところ、ちょうど程良く、少しの過不及がないところを窮め尽くしたにすぎない。
十六-2
理と性を対比する
理→物に備わっている理。
性→人に備わっている理。
物に備わっているもの→天地人物の公共の道理。
人に備わっているもの→個人個人の所有しているもの。
十六-3
理と義を対比する
理→本体。
義→理の作用。
理→物に備わっている当然の則。
義→理に処していくための方法。
だからこそ、程子は「物に在るを理と為し、物に処するを義と為す」(『周易』艮卦彖伝程子易伝 より)。と言った。
これで 第十六章 「理」 は終わり。
次は 第十七章 「徳」 から。
続く