哲学ナックルダスター

主に東洋古典を自分の言葉で噛み砕いてくブログ。たまに俳句を詠んだり、他の記事も書きます

北渓字義ノート 44 十六 理(1~3)

前回の続き

kamata-ei.hatenablog.com

北渓字義  十六章 理(全3節) から

十六-1

道と理→ほぼ同じもの。

二字に分けている以上は区別する必要がある。

道→緩やかで永久に人が通行するもの。

理→確実で、確定していて永久に易(かわ)らないもの。

理には姿形が無い。

事物に備わっている当然の法則が理である。

「則」→準則・法則のこと。確定していて変わらないという意味がある。

事物に備わっている当然そうしなければいけないところが「当然」。

ちょうど程良く、少しの過不及がないのが「則」。

以下『礼記』より

「君と為りては仁に止まる」→仁に止まるのが主君になった者の当然の則。

「臣と為りては敬に止まる」→敬に止まるのが臣下となった者の当然の則。

「父と為りては慈に止まり、子と為りては孝に止まる」

→慈と孝が父となり子となった者の当然の則。

「足の容は重し」→重々しいのが足の姿形の当然の則。

「手の容は恭し」→恭しいのが手の姿形の当然の則。

「尸の如くす」→座った時の当然の則。

「斎するが如くす」→立った時の当然の則。

古の人の格物窮理

事物について当然の則を窮めようとした。

当然そうしなければいけないところ、ちょうど程良く、少しの過不及がないところを窮め尽くしたにすぎない。

十六-2

理と性を対比する

理→物に備わっている理。

性→人に備わっている理。

物に備わっているもの→天地人物の公共の道理。

人に備わっているもの→個人個人の所有しているもの。

十六-3

理と義を対比する

理→本体。

義→理の作用。

理→物に備わっている当然の則。

義→理に処していくための方法。

だからこそ、程子は「物に在るを理と為し、物に処するを義と為す」(『周易』艮卦彖伝程子易伝 より)。と言った。

 

 

これで 第十六章 「理」 は終わり。

 

次は 第十七章 「徳」 から。

 

続く