哲学ナックルダスター

主に東洋古典を自分の言葉で噛み砕いてくブログ。たまに俳句を詠んだり、他の記事も書きます

北渓字義ノート 40 十五 道(1)

前回の続き

kamata-ei.hatenablog.com

北渓字義 下巻 十五章 道(全10節)

十五-1

朱子による道の定義

「道はなお路のごとし」

これは朱子が通路から思いついた。

人々が通行してはじめて通路と言える。一人だけが通行しても通路とは言えない。

道の本質

日常の人間関係や社会生活において当然行わなければならない理。

大勢の人が共に由り従うものであって、はじめて道と言える。

日常の人間関係や社会生活において説かないと、人々が通行するものであるという意味が適切に理解されない。

道の根源

みな、天からやって来る。

張載は「太虚に由りて、天の名あり、気化に由りて、道の名あり」と説いている。

天は理。

古の聖人や賢人が天を説く場合、多くは理について論じている。

理→姿形がないのが自然であるから、天という。

天の形体→実際には何の形質も無い。

張載の言う天→理を説いたもの。

理はじっとしているわけではない。

一元の気が全てに行き渡って、人や物が生じる場合、そこに筋道が生じる。

これが人や物が通行する道なのである。

子思が「性に率うをこれ道と謂う」というのは、人や物が既に本性を受け取った場合について説いたもの。

受け取った本性に従うと、そこに当然通行しなければいけなくなる通路が自然に生じる。そこに人があれこれ取り繕う余地は無い。

実際に道と名付けられることについては、当然人や物が通行するところについて説かなければならない。

日常の人間関係や社会生活に備わっているのが当然の理。

古の人も今の人も共に由り従う通路だからこそ、道と名付けた。

 

続く