哲学ナックルダスター

主に東洋古典を自分の言葉で噛み砕いてくブログ。たまに俳句を詠んだり、他の記事も書きます

北渓字義ノート 34 十一 一貫(1~5)

前回の続き

kamata-ei.hatenablog.com

北渓字義 十一章 一貫(全5節)

十一-1

一→全体としての一理である、ここに根本がある。

貫→この一理のはたらきが、万事万物の中を貫いていること。

聖人の心→全体が一理であって、根本となっている。この根本のはたらきが作用に現れると…

君臣→義となる。

父子→仁となる。

兄弟→友となる。

夫婦→別となる。

朋友→信となる。

更に分けて言うと…

父→慈となる。

子→孝となる。

君→仁となる。

臣→敬となる。

更に細かく分けて言うと…

視る時→明

聴く時→聡、

顔色→おだやかさ

容貌→恭しさ

…等々、三千三百の儀や動容周旋の礼(『中庸章句』と『孟子』より)となる。

日常生活の中の細かい動作から天下を助けるに到るまで、およそ全ての行為、全ての善事は、いずれもみな、この根本のはたらきが貫通しているのである。

十一-2

全体としての一理から言えば、その他数多くの理、つまり万理は全て全体としての一理の中に備わっている。

万理として現れたものの中で一理で無いものは無い。

一だからこそ万を貫いている。

万は皆、一に基いている。

十一-3

一貫は天道。

孔子が『論語』で「一を以ってこれを貫く」と曾子に説いたのは極めて適切。

曾子がこの時に言った「忠恕」はこの一貫を形容するためのもの。

人道という切実なものを借りてきて天道という微妙なものを明らかにしたもので適切な説明である。

忠→一に相当している。

恕→貫に相当している。

己の心を尽くし嘘偽りが無いのならば、この心は渾然たる一個の天理。

これが根本であり、全てのものはここに備わっている。

この根本に基いて万事、道理が現れる。

これにより一貫していることがわかる。

曾子の説は、理についていえば適切であり学ぶ者にとって有効である。

学ぶ者が道に進み徳に入ろうとするにあたり、工夫の拠り所となる手掛かりが得られる。

十一-4

学ぶ者が工夫をする場合には順序を飛び越えてはならない。

一→一所懸命に励むこと。

貫→日常生活での様々な事柄について一つ一つの理の原因をよく調べ考え、行うべき理を実践する。

ここで始めて万理を統合して一理とする。

そして聖人の境地である嘘偽りの全く無い心の根源の全体は、ここから向上して到達できる。

十一-5

天→一元の気が休むことなくはたらいている。

これが根本であり、根源である。

万物は全てこの中から出てくる。

あるものは大きく出てくる。

あるものは小さく出てくる。

あるものは高く出てくる。

あるものは低く出てくる。

あるものは動物として出てくる。

あるものは鳥として出てくる。

あるものは魚として出てくる。

あるものは植物として出てくる。

みなそれぞれが欲するものを得ている。

それぞれが充足しており欠けたところが無い。

これは天が一つ一つ努力して飾り立てたものでは無い。

全てが自然にそうなっており、根本から出てきたものである。

これが天が一貫していると言われる理由である。

 

「一貫」はここまで。

 

次は第十二章「誠」から。

 

まだ勉強が足りんぞ俺。