哲学ナックルダスター

主に東洋古典を自分の言葉で噛み砕いてくブログ。たまに俳句を詠んだり、他の記事も書きます

北渓字義ノート 22 八 仁義礼智信(19~25)

前回の続き

kamata-ei.hatenablog.com

北渓字義 八章 仁義礼智信 第19節から

八-19

親を親として大切にするのは仁。

心から親を愛する→仁の中の仁。

親を諫める→仁の中の義。

「温凊定省(おんせいていせい ※『礼記』より)」という節文がある→仁の中の礼。

人が生まれながらにもっている知恵のはたらきで、誰でも親を愛することを知っている→仁の中の智。

嘘偽りなく親に仕える→仁の中の信。

兄に従うのは義。

常に兄を尊敬する→義の中の義。

ゆっくり歩み年長者の後からついていくという節文がある→義の中の礼。

人が生まれながらにもっている知恵のはたらきで、誰でも兄を敬うことを知っている→義の中の智。

嘘偽りなく兄に従っていく→義の中の信。

賓客を敬うのは礼。

丁重にお迎えしようという心→礼の中の仁。

接待が宜しきを得る→礼の中の義。

行儀作法に節文がある→礼の中の礼。

賓客への応対が乱れない→礼の中の智。

嘘偽りなく賓客を敬う→礼の中の信。

事柄の是非を明らかにするのは智。

是を是とし、非を非とすることが親切で丁寧である→智の中の仁。

是を是とし、非を非とすることが宜しきに適っている→智の中の義。

是を是とし、非を非とすることが筋道にあたっている→智の中の礼。

是を是とし、非を非とすることが一定している→智の中の智。

是を是とし、非を非とし、そこに嘘偽りがない→智の中の信。

言ったことを実行するのは信。

発言が天理に従っている→信の中の仁。

発言が天理の宜しきを得ている→信の中の義。

発言が筋道にあたっている→信の中の礼。

発言に条理にあって乱れていない→信の中の智。

発言に嘘偽りがない→信の中の信。

八-20

上記のように

仁・義・礼・智・信の中の仁がある。

仁・義・礼・智・信の中の義がある。

仁・義・礼・智・信の中の礼がある。

仁・義・礼・智・信の中の智がある。

仁・義・礼・智・信の中の信がある。

仁の中の仁・義・礼・智・信がある。

義の中の仁・義・礼・智・信がある。

礼の中の仁・義・礼・智・信がある。

智の中の仁・義・礼・智・信がある。

信の中の仁・義・礼・智・信がある。

八-21

仁という理のはたらきの中から、恭遜節文が醸し出される。

礼の恭遜節文の中から義の裁断して宜しきを得るはたらきが醸し出される。

義の裁断して宜しきを得るはたらきの中から智の是非を確定するはたらきが醸し出される。

智が是非を確定するところまでくると、その中から再び仁という理のはたらきが醸し出される。

仁・礼・義・智の間には緊密な関連が有り、それぞれの境目がはっきりと分かれていて、お互いに関連し合う。

八-22

仁・義・礼・智・信

外物に感じることによって現れ、それぞれが持っているはたらきによって外物に応じていく。

外物に触れると…

一緒になってはたらく場合がある。

交錯して互い違いに現れる場合がある。

きちんとした秩序に従って現れて乱れない場合がある。

ごちゃ混ぜになって現れて秩序に無い場合がある。

大きいところには大きく現れる。

小さいところには小さく現れる。

粗いところには粗く現れる。

細かいところには細かく現れる。

その現れ方は自由であり、障碍が無く、現れ方が通じないという場所は無い。

八-23

他人の災難を見ると、心から同情し、必ずその人を傷つけた者に対して憤りを覚える→仁の中に義を含んできた。

他人の不善を見ると、不善を憎み、必ず悪を善に改めさせようとする→義の中に仁を含んできた。

大切な賓客を見ると敬意を尽くし、必ず我が身を省みて失礼の無い様に心配りする。→礼の中に智を含んできた。

物の美醜・黒白を見ると、それを判別し必ずそれぞれに、はっきりとしたけじめをつけて、乱雑にならないようにする→智の中に礼を含んできた。

八-24

孔子門下

人に教える場合、仁を求めることを最大の急務とした。

仁の中には全ての善が含まれており、仁であることができれば、全ての善がそこから生じるとしていたからだ。

孟子が始めて仁と義を合わせて、一組にして説いた。

これは四季に陰と陽があるようなもの。

八-25

孔子門下から後の人…

全く仁がわかっていない。

漢代の学者→仁を恩恵とみなした。

これは愛ということにこだわりすぎた解釈。その上にさらに色々なものを付け加えて、仁を粗雑なものにしてしまった。

韓愈は博愛を仁とした。

程子になってはじめてはっきりと区別し「仁は是れ性、愛は是れ情」と説いた。

だが、程子以後、その門人たちは今度はその愛をすっかり捨ててしまい、ひたすら高遠なものを求め、仁は愛から離れることができないということを忘れてしまった。

多くの門人たちの説は仁が持っている広大さをこのようであると想像したに過ぎない。

かつて孔子顔回に伝えた仁の真の意味(岩波文庫論語』顔淵第十二-一 より)を完全に見失っている。

 

続く