前回の続き
北渓字義 八章 仁義礼智信(全27節)
八-1
仁・義・礼・智・信の五常は天地について考えていくと五行の徳となる。
人の性での仁→五行では木の神。
人の性での義→五行では金の神。
人の性での礼→五行では火の神。
人の性での智→五行では水の神。
人の性には仁・義・礼・智の四つの位はあるが、信の位は無い。
木→東
金→西
火→南
水→北
土には一定の位は無く、木・金・火・水の四つの位の中に寄生して盛んになっている。
木→春
火→夏
金→秋
水→冬
土は四季の中に分散して盛んになっている。
木・火・金・水の四行→土が無いと載せる場所が無い。
仁・義・礼・智→信が無いと真実でなくなってしまう。
仁・義・礼・智の実理が信。
信→わかり易い。
仁・義・礼・智→一つ一つはっきりと理解しなければならない。
その後、一つにまとめて理解し、相互関係が乱雑にならないようにしていかなければならない。
八-2
仁→愛の理。愛となって外に現れるのは仁の作用。愛の理は内に在る。
義→宜の理。事物が宜しきを得るのは義の作用。宜の理は内に在る。
礼→敬の理。恭しい態度は礼の作用。敬の理は内に在る。
智→知の理。是非を知るのは智の作用。知の理は内に在る。
仁は他のものより大きく、この四つのものを全て統括できる。
だから仁を心の徳とする。
義・礼・智も心の徳ではあるが、心の徳とは言えない。
仁は衆善の長として心の全徳を独占している。
理由→人の心が備えている天理の全体が全て仁だからだ。
この自然の道理は常にいきいきとしており、常に物を生み続けてやまない。
これを仁といい、義・礼・智を包み込んでいる。
仁→少しでも人欲の私が中に混ざると天理はすぐに断ち切られて死んでしまい仁とは言えなくなる。
必ず努力が完成して、この心が完全に天理と一致し、人欲の私が少しも混ざらなければならないようにしなければいけない。
そうなると、天理の全体が広く行き渡り、止むことなく、途切れたり欠けたりすることがない。
仁はこうでなくてはいけない。仁には少しだけの仁というものは無い。
八-3
仁と義が発動する→惻隠と羞悪になる。
人やものの上に惻隠と羞悪のはたらきが及んできて、はじめて愛や宜となって現れる。
だから、愛の理、宜の理という。
続く