前回の続き
北渓字義 六章 志 の続き
六-4
程子の上奏文(『河南程氏文集』巻一、上殿箚子)では、立志を説いた一節が最も重要。
君主の立志を説いたものだが、学ぶ者の立志も君主の立志も同じ事。
一身上の違いがあること、天下にあるのと、大小の違いがあるだけ。
六-5
学問をする場合、最も大切なこと。
志を立てる最初に、慎重に考えて目標を決めること。
これが人生の分かれ道となる。
義に志す→君子の道に入る。
利に志す→小人の道に入る。
舜が善に努め、盗跖が利を貪ったのは、ここから分かれた。
尭帝と桀王の言行の違いもここから分かれた。
大事なのは志学のところ。
聖人の場合→最初の成童の志学に、問題が無かった。
現在→学問の入り口が非常に多い。この入口で志すものを間違えて聖人の道に外れてしまうならば、学び始めてから後の「而立」、「不惑」、「知命」、「耳順」、「従心」が、順を間違えてしまうので学問の効果は全く現れない。
最初の志が聖人の学問に一心不乱だったら…
→以後の多くの節目は順を正しく追って進んで行ける。
もし、最後まで怠けずたゆまず努力を続けていくならば、「従心」の境地がどんなに高くても、必ず到達することができる。
六-6
人はよく「志趣」という言葉を使う。趣は趨であり、心が趨(おもむ)くこと。趣も志の持つ属性の一つである。
六-7
孟子「士は志を尚くす」
志を立てる時は高くなければいけない。卑くてはいけない。
『論語』「博く学びて、篤く志す」
志を立てる時は、一定していなければいけない。雑であってはいけない。
堅くなければいけない。緩くてはいけない。
顔回や公名儀(春秋時代の魯国の人)は聖人を自己の目標としていたので志を立てることが出来た。
志 はこれで終わり。
次は 七 意 から。
続く