哲学ナックルダスター

主に東洋古典を自分の言葉で噛み砕いてくブログ。たまに俳句を詠んだり、他の記事も書きます

北渓字義ノート 12 三 心(7~12)

前回の続き

kamata-ei.hatenablog.com

北渓字義 三章 心 の続き

三-7

心の分量は極めて大きく無限である。

孔子が幅広く学ぶことに飽きることが無かったのは、心の極大無限の分量を極めつくそうとしたからだった。

三-8

心は極めて霊妙なもの。

尭帝や舜帝の様な天子となり、天地と並び立ち、鬼神を招き寄せることができる。

遥か遠く離れていても、ほんの少し思っただけで、すぐその場所に行ける。

古の人の心情や世の中の移り変わりの秘密も、ほんの少し考えただけですぐにわかる。

どんなに堅い石や金属でも、貫通させることができる。

極めて細かく、極めて奥深いことであっても、知り尽くすことが出来る。

三-9

仏教における性は、儒教における心と全く同じ。

仏教では人心の虚霊知覚を性と呼んでいるだけだ。

三-10

程頤や張載も孟子以降、心について適切に説いているが、朱子の「性は心の理なり。情は心の用なり。心は情性の主なり」は説き方がさらにわかり易くなっている。

三-11

張載の考え

理と気が合わさると人や物が生じる。

人や物が理を受け取ると性が出来上がり、そこではじめて「性」という名が生まれる。

性は理から来るが、気を離れない。

知覚は気から来るが、理を離れない。

性と知覚が合わさると心が出来上がり、そこではじめて「心」という名が生まれる。

三-12

「河南程氏遺書」より

「上天の載は、声もなく臭いもなし。其の体は則ちこれを易と謂い、其の理は則ちこれを道と謂い、其の用は則ちこれを神と謂う」

これは天の心・性・情について述べたもの。

易→心

道→性

神→情

体は体用の体では無く、形状模様がこのようであるということ。

易は陰陽の変化のことであり、理と気を合わせて説いている。

 

※三 心 終わり。次は 四 情 から

 

続く