哲学ナックルダスター

主に東洋古典を自分の言葉で噛み砕いてくブログ。たまに俳句を詠んだり、他の記事も書きます

メモ書き「権利のための闘争」9

前回の続き

kamata-ei.hatenablog.com

間が開いてしまった。最後までやりきる。

 

65頁

身分や職業毎の固有の条件のおかげで一定の法制度が大きな意味を持ち、権利感覚の感度が高められる事と同様、固有の条件が権利感覚に対し逆の効果になることが有る。

使用人身分(当時のドイツ)は名誉感覚を貰えない。

使用人の地位はある種の卑下を伴う。

個々の使用人は使用人身分全体全体がこの卑下を許容している限り個々で卑下をはねつけることはできない。

使用人で強い名誉感覚を持つ者は自己の要求を下げるか、仕事をやめるしかない。

使用人が強い名誉感覚を持つことが一般的になって初めて個々の使用人が闘争の為に力を無益に消費していくのではなく、同志たちと団結して使用人身分の名誉を高めるのに成功するだろう。これは使用人の名誉への主観的感覚だけではなく社会の他の身分及び立法による客観的な承認を高めるのにも成功するだろう。

使用人身分の地位の向上はこの50年来、この様な方向で大いに改善されている。

66頁

これまで名誉について述べたことは所有権にも当て嵌まる。所有権の正当感覚も条件下によっては弱まってしまう。

所有権についての正当感覚とは高価なものだからという理由では無く自分のものだからという理由で自己の所有物を守る所有者の感覚。典型的代表者は農民。

人々の疑問

所有物に人格と何のかかわりがあるのか?所有権の訴訟は純然たる利害問題では無いのか。

66頁~68頁

イェーリング

上記の所有権への見方は健全な所有感覚の喪失を物語るものだ。

原因→所有権の自然的関係の変質

問題は営利活動の反倫理性

主勇健の歴史的源泉と倫理的根拠は労働。

この労働は肉体的労働だけでは無く精神と才能の働きを含む。

働く本人だけでなく相続人にも労働の産物に対する権利を認める。

相続権は労働原理から必然的に生ずる。

働く者が自ら享受せず、生存中もしくは死亡後に他の人に享受させることを妨げるわけにはいかない。

所有権は労働と絶えず結びついていることによってのみ新鮮なもの健全な物でありうる。この源泉においてのみ人にとっての所有権の意義は明瞭に顕れる。

この源泉から遠ざかり、安易な、時には労力を要しない営利の野まで下がると取引所での投機や詐欺的株式発行にまで成り下がる。こういった場所では所有権を守るべき倫理的義務についての感覚など全く存在しない。額に汗して働かなければならない人々の全てが持っている所有感覚は全く理解されない場所だ。

この反倫理的な生活の気風や習わしが、次第に他の社会にまで広がっていく。投機によって富が築かれるのを目の当たりにして、みなその悪影響を免れず、労働に対し本来の感覚を持っていた人が投機による金稼ぎの空気に毒され労働を呪わしいものとしか考えなくなるようになる。

共産主義(当時)はこのような泥沼状態においてのみ繁殖し、流れの源泉には姿をみせない。

社会の支配的部分の所有観念が他の部分にも及ぶという現象は見られる。

平均的な人が農村においては農民と同時に倹約家となり、都会においては百万長者と同様の浪費家となる。

 

続く