哲学ナックルダスター

主に東洋古典を自分の言葉で噛み砕いてくブログ。たまに俳句を詠んだり、他の記事も書きます

メモ書き「権利のための闘争」7

前回の続き

kamata-ei.hatenablog.com

この本を目次だけで内容を予想できる人がいたらお目にかかりたいねえ。

・序文

・第11版序文

・権利のための闘争

・解説

これだけだからね。タイトルだけでどんなことが具体的に書いて有るか予想できる人がいたら凄いと思うよ。自分はこの本は大学の講義で教授から読んでおけと紹介された。政治学だったかなあ(うろ覚え)。権力の正当性絡みでの紹介だったかなあ。やっぱりうろ覚えだ。けど、本だけは覚えている。買って読み直している。

 

56頁

古代ローマ法は猜疑心が法命題の形をとっていた。

紛争の両当事者がいずれも善意であるかもしれない場合でも敗けた方に賠償責任が生じる。権利の回復だけではダメ。侵害を受けた被害者の権利意識を鎮める為に故意過失無関係に償いが必要。後に解消される。故意過失による不法(主観的)と無過失の不法(客観的)が正確に区別されるようになった。

57頁~58頁

主観的な不法と客観的な不法の区別は、立法上でも学説上でもとても重要。がいかにして正義の見地から自体を眺め異なる不法にそれぞれの効果を付与するかを示すものだから。

だが、権利主体の受け止め方、権利感覚が不法によって受ける刺激については前述の区別は役に立たない。

①債務者が死亡して相続人が債務の相続を知らず債務の存在が立証されれば弁済すると言っている場合

②債務者自身が債務を否定したり理由なしに弁済を拒否する場合

どちらの場合でも同一の貸金返済請求権になるが、①と②では相手を区別し相手への態度の取り方を決めることは妨げられない。

②の場合、債務者は泥棒の態度ととることが出来る。

①の場合は善意の占有者にすぎないととることが出来る。

①の相手とならば和解に応じられる。勝算が無い時は訴えを断念しても構わない。

②の相手は悪意で正当な権利を奪おうしているのでどんなに高くついても権利を追求しなければならない。これをしないとその権利を失うだけでなく、およそ権利一般を放棄することになる。

58頁~62頁

先の意見に対してこう反論される可能性

「人格の倫理的生存条件としての所有権や債権について、一般の人々は何を知っているのか?」

イェーリングの答え

知っているかと聞かれたらNoとしか答えられない。

だが、感じてさえいないのかということならば感じているという事を立証できると思っている。

人は肉体的生存条件の内臓器官については何も知っていないが、肺や、腎臓、肝臓など内臓の痛みは誰でも感じ取り身体異常の警告として受け止める。痛みによって体に迫る危険(病気)の可能性を告げ、用心しろと警告を与える。

意図的な不法や恣意的行為によって与えられる倫理的苦痛についても全く同じことが言えないだろうか?

倫理的苦痛は、肉体的苦痛同様に諸条件によって強弱は有るが、無感覚…つまり現実の無権利状態に慣れ切ってしまっている人は別として、あらゆる人に苦痛として受け取られ警告となる。

今の痛みを止めるための即効的警告は、黙って苦痛に耐えているだけでは維持している健康が損なわれてしまうからという長い目で見た警告だが、倫理的苦痛は倫理的自己保存の義務を果たせと警告する。

非常にわかり易いケースとして名誉毀損、名誉感覚が最も高い将校身分(当時のドイツ)を取り上げる。

名誉毀損を耐え忍ぶ将校は、もう将校ではない。名誉の主張は全ての者の義務だが何故、将校は特別に名誉の主張の義務実行が重視されるのか?

将校身分は自分たちにとって人格の大胆な主張が自己の地位全体の不可欠の前提条件になっている。人格的勇気の体現者である将校身分が仲間の臆病を見逃すと全体として権威が失墜することに正しい感覚をもっているからだ。

農民(当時のドイツ)と比較する。

農民は自分の所有物をとにかく守ろうとするが、自分の名誉に関しては非常に鈍感である。農民固有の生存条件についての正しい感覚で説明できる。

農民の職業は勇気は不要だが労働が必要。農民は所有権を守ることで労働を守っている。農民の労働と所有権獲得は将校にとっての名誉に相当する。自分の畑を耕さず荒れ放題にしても何にも思わず、自分の財産を軽率に湯水の如く使い果たすような惚けた農民は、自己の名誉を守らない将校が他の将校たちから軽蔑される事同様、農民仲間からの侮蔑の対象となる。

農民が侮辱を受けても決闘の場に出ず、訴えも起こさないからと言っても農民仲間から非難されることは無い。将校が立派な農場主でないという理由で将校仲間から非難されないのと同じ。

農民にとっては耕す土地や飼っている家畜が生活の基礎。だから境界線を越えて2~3フィートを耕した隣人や牛を売ったのに代金を払ってくれない商人に対しては、死に物狂いの激情による訴訟によって権利のための闘争を行うことになる。将校が自己の名誉を傷つけた者に対して剣を抜いて戦うのと同じことである。

農民も将校も全力を投入し、結果がどうなるという事は全く考えていない。そうしないではいられないのである。

彼らは倫理的自己保存の法則に従っている。

農民が名誉毀損の訴えをしたという稀なケースでは裁判官は同じ農民が所有権をめぐる訴えを起こした場合よりもはるかに容易に和解を勧めて成功するだろう。

古代ローマの農民

平手打ちを喰らった時は賠償金に甘んじ、片目をくり抜かれたときも望むなら相手の片目をくり抜けることができたのに、和解に応じた。

盗人を現行犯で捕まえた時は自己の奴隷にし、反抗した際には殺しても良いという権限を法で認めてくれるよう要求して、実際に法律(十二表法)により承認された。

前者は農民の名誉や身体が害されたにすぎないが、後者は農民の財産が侵害されたというのがこの二つの対照的なことが起きた理由である。

62頁~63頁

商人(当時のドイツ)について

将校→名誉

農民→財産

商人→信用

商人にとって信用を維持できるかできないかは死活問題。

ある商人についてその商人が債務の弁済をしっかりとしていないと非難した者は、その商人を侮辱したり商人の物を盗んだことよりも酷い打撃を加えたことになる。

こういった商人特有の地位を考えればこそ、近頃の諸法典では商人やこれに準ずる者に限って破産の処罰規定を残している。

イェーリングはこの破産の処罰規定を「軽率かつ詐欺的」と表現している。

 

これは、あくまでの当時のドイツの話であります。決して今の農業従事者、軍人(日本なら自衛隊員)、事業主といった層を指して書いている訳では有りません。

 

続く