哲学ナックルダスター

主に東洋古典を自分の言葉で噛み砕いてくブログ。たまに俳句を詠んだり、他の記事も書きます

メモ書き「権利のための闘争」6

前回の続き

kamata-ei.hatenablog.com

 

50頁~51頁

自己の生存の主張は生きとし生けるものの最高の法則。

全ての生き物に自己保存本能として示されている。

人間には肉体的生存だけでなく倫理的なるものとしての生存が重要。

そのための一つの条件が権利を主張すること。

権利の無い人間は獣に成り下がる。だからローマ人は奴隷を家畜と同列に置いた。

権利の主張は倫理的自己保存の義務。権利主張を全体的に放棄することは倫理的自殺。

法は個々の法体制の総体。一つ一つの法制度…所有権、婚姻、契約、名誉なども生存条件になっている。この内の一つを放棄することでも権利の全体を放棄することと同様、法の立場からは認められない。

他人からの条件の一つを攻撃されることをはね返すのは権利主体の義務。この主張のきっかけは他人の恣意による侵害。

51頁~55頁

全ての不法が恣意、権利の理念に対して背く行為ではない。人の所有物を善意で占有する者が自分の所有物と思っている場合、相手を傷つける為に所有権を無視するのではなく、自分の為に所有権を主張している。

両者のどちらに所有権があるかという紛争に過ぎない。

窃盗や強盗の犯人は法制度の枠外にいるのでこの所有権の無視は人格の生存条件を無視した行為。窃盗や強盗は物への攻撃だけではなく、所有者の人格への攻撃も含む。

所有権の防衛は自分の人格を防衛することになる。

所有権を断念してもやむを得ないといのは強盗から命か金かどちらかと脅されたときの様に所有権の主張の義務と生命の維持の義務が衝突するときくらいだろう。

先の様な場合を別として、人格を害する形で権利を無視された者は、ありとあらゆる形で戦うのが、あらゆる者の自分自身に対する義務。

権利の無視を黙認する者は自分の生活が部分的な無権利状態でに置かれることを認める結果となるが、そんなことに自ら手を貸す自殺的行為は誰にも許されていない。

善意の占有による所有権の争いは単なる利害関係。あくまでも物の価値なので勝訴の為の費用を考えて訴訟を起こすか起こさないか和解するのかを決めるのは正当な行為。

和解は当事者の計算結果が一致したときに成立するので、先の様な前提条件では紛争解決の手段としては最も正しい方法となる。

実際には和解の成立は非常に困難。理由は双方とも相手方は悪意を持った意識的な不法を行っていると思い込んでいるから。訴訟上は客観的な不法として審理される問題でも当事者心理は意識的な権利侵害と同じになる。

当事者は自分の権利に加えられた攻撃は強盗と同じであると考えるので訴訟の費用や面倒の面で訴訟を思いとどまらせようという事は誤り。唯一の糸口は、相手が悪意では無いと理解させること。これがわかれば、当事者のわだかまりも無くなり、和解へと進めて行くことが出来る。

なかなかここまでたどり着けない人達もいる。頑固さ、心理的猜疑心の強さは教育や職業の違いによって認められる。最も強いのは農民(当時のドイツで)。農民はよく訴訟嗜好症と言われるのは、強力な所有意識と猜疑心の強さからくる。農民程自分の利害に敏感であり、所有物をしっかり握っている者はいないが、農民程、全財産を訴訟に注ぎ込む者はいない。農民の高度に発達した所有意識だからこそ、侵害されたときの苦痛は大きいのでその分、権利の侵害への反作用は凄まじくなる。農民の訴訟嗜好症は見当違いの方向に発揮された所有意識の産物。この見当違いは自分自身に矛先を向け、救いたいものを破壊してしまう。

 

続く