哲学ナックルダスター

主に東洋古典を自分の言葉で噛み砕いてくブログ。たまに俳句を詠んだり、他の記事も書きます

メモ書き「権利のための闘争」2

前回の続き

kamata-ei.hatenablog.com

 

32頁

闘争こそ権利=法(レヒト)の働き。闘争が必要、闘争が倫理的な価値を持つ→権利=法と財産も同じ。

これまでの法学→権利=法を倫理的側面から抽象的命題の体系として捉えていた。この一面的な見方のおかげで権利=法の荒々しい現実が反映していない権利観念・法観念がまかり通っている。

32頁~33頁

権利=法→客観的な意味と主観的な意味がある。

客観的な意味(法)→国家が手掛けるもろもろの法原則の総体、法律による生活秩序。

主観的な意味(権利)→抽象的な準則が人の具体的機能として具体的な形をとったもの。

どちらにおいても権利=法は抵抗に遭遇し、克服しなくてはいけない。

闘争によって自己の存在を勝ち取り貫いていかなければならない。

33頁~34頁

法の為の闘争

国家側からする法の実現は闘争を伴う。

国家による法秩序の維持→無法に対する絶えざる闘争以外の何物でもない。

法の生成→事情が異なる。

法の発展イェーリングの主張は自明ではない。

イェーリング→法の生成も闘争の法則に服すると考える。

異説が有る。

サヴィニー=プフタ説(今のローマ法学でもまだ広く承認されている)

法の形成は言語の形成と同様に知らず知らずのうちに何の痛みも無く進行する。争奪も闘争も追及の努力も不要。心理を伴う穏やかな推進力がゆっくりと確実に道を切り拓いていき、法が徐々に人々に共有され、実現されるようになる。

新たな法命題は無理なく成立する。古代ローマ法の法命題も古代ローマの言語法則と同じようにして形成された。

 

続く