目眩帳

主に東洋古典を自分の言葉で噛み砕いてくブログ。たまに俳句を詠んだり、他の記事も書きます

貞観政要かみ砕き 75「巻三 封建 第八」第二章 その3

前回の続き

kamata-ei.hatenablog.com

「巻三 封建 第八」の第二章「封建制の弊害」のつづき。

李百薬の進言は続く

 

周と秦

李百薬「周は占いの結果では30代、700年栄えると出て、そこで滅びる筈だったのですが、文王や武王の大きな徳のおかげで、周王朝の天子の位は定めとは遠く離れて長続きしたのです。ですが、昭王は南方遠征から生還せず、諸侯たちを巻き込んだ騒乱で首都は洛陽に移され、祭祀は余り行われなくなり、洛陽周辺の地も守れず、だんだんと力が衰えて行ったのは、諸侯たちへの封建制度が足を引っ張っていったからです。秦の始皇帝は暴君で正しい方法で天子の位になったわけでは無かったので、十数年で滅んでしまいました。始皇帝には夏王朝の禹王や殷王朝の湯王のような徳は無く、後継ぎの二世皇帝には禹王の息子の啓王や武王の息子の成王のよう」な才能は無かったのです。こうなってしまっては、李斯(りし)や王綰(おうわん)といった腕利きの政治家を諸侯に封じても、始皇帝の公子の将閭(しょうりょ)や秦最後の王だった子嬰(しえい)を諸侯に封じたとしても、どうして天命を授かり現れた劉邦に対して、身動きの取れなくなっているような奴らが生き残ることが出来るというのでしょうか。

 

これで白文で全体の1/3いったかなあという進行度。

 

続く