目眩帳

主に東洋古典を自分の言葉で噛み砕いてくブログ。たまに俳句を詠んだり、他の記事も書きます

陳淳で朱子学入門 2 北渓字義 一 命(4~5)

前回の続き

kamata-ei.hatenablog.com

一 命の第4節から

 

一の4

人の品性についてですが、天から授かったものという事ではみな同じですが、人には運命やめぐりあいによって、人それぞれに清濁・厚薄の不揃いが生じます。

聖人は清らかな気を受け取っているので、生まれながらにして道理を知ることができ、混じりけの無い質を受け取っているので、生まれながらにして天の道を楽に歩むことが出来るのです。気は人体に絶えず流れるもの、質は固まって形になったものと考えてください。尭帝や舜帝は清らかな気と混じりけの無い質を受け取っていたので、聡明で神聖でした。更に気でもより清らかで豊かで厚い気を受け取っていたので天子の位につき、天下の富を持っていました。百年余りも天子の位にいられたのは、気の中でも最も長寿の気を受け取っていたのです。

孔子も清らかな気と混じりけの無い質を受け取っていたので、生まれながらにして道理を知り、天の道を楽に歩むことができました。ですが、天地そのものの気が孔子の時代には衰えていたので、孔子はより高く厚い気を受け取れなかったので、慌ただしい旅人の様な生涯を送ったのです。そして受け取った気がそれほど長いものでなかったので70歳ほどの寿命でした。尭帝や舜帝ほど長生きは出来なかったのです。

聖人以下の人はそれぞれ天から与えられた寿命が有ります。顔子も聖人に次ぐ清らかで明察で純粋な人でしたが、長生きを受け取れなかったので早くして亡くなりました。

清らかな気を受け取ると隠れずにその義理がはっきりと現れます。例えば銀の盃に澄んだ水を満たすと、水が入っていないかの様に盃の底の花模様がはっきりと見えるようなものです。

賢者は清らかな気を多く受け取っていて、濁った気は少ないのです。澄んだ水の中に一滴濁った水が有ったとしても、義理を隠しごまかすことはできません。聡明であり、啓発されやすい存在です。

賢者より下になると清と濁が半分程度の割合となり、人によっては清よりも濁が多く、義理が隠されています。盃の中に濁った水を入れても、底の花模様が見えないようなものです。花模様を見るには、水を澄んだ水にするよう努力しなければいけません。もし、本気になって努力をすれば気質を変化させ、暗愚を聡明に変えることだって出来ます。

こんな人がいます。その人は清らかな気を受け取り、義理に関してはとても物分かりが良いのですが、行いが誠実でなく、道理を守ることが出来ず、嘘偽りが多い人です。これは受け取った質が純粋なもので無いからです。井戸の湧き水はとても澄んでおり、銀の盃に入れると底の花模様まで見えますが、水脈が汚い土や悪い木の根の間を潜り抜けてきているので、味が悪く、この水で白米を炊くと赤くなり、白湯を沸かすと赤くなり、茶を入れると酸っぱくなったり渋くなったりするようなものです。これらは悪いものが混じっているからです。

こんな人もいます。その人は生まれて以来、世俗の苦楽に関しては無頓着で、行いは正しいのですが、道理を説いても聞かせてもその人が啓発されることはありません。これは受け取った質が純粋なものである一方、清らかな気を受け取っていないからです。井戸の水脈の味は元々良いのですが、泥で濁っていて透き通らないようなものです。司馬光(1019年~1086年  「資治通鑑」の編者として有名)がこれに該当します。性格は慎み深く実践を怠らず、心から古の学問を好むという生まれつき立派な人物でしたが、清らかな気が欠けていたので物事を正しく見分ける能力が乏しかったのでした。二程先生が何度も義理を説いて聞かせたのですが、頑固者で物分かりが悪かったので、二程先生を残念がらせました。

こんな人もいます。非常によく道理を説くが、執拗に自分の意見を主張します。これは清らかな気を受け取っているのですが、一筋の悪い気がその人を捻じ曲げているのです。水脈はとても澄んで流れ出てきますが、一筋の別の水が横からぶつかってきたり、切り立った岩にぶつかると、逆流して悪い流れになるようなものです。

人の気質には様々なものがあり、「或いは相倍蓰し、或いは什佰し、或いは相千万す」と言いますので、全てが同じと言う訳にはいかないのです。結局、清らかで明察で純粋で過不及のないものは極めてまれな存在なのです。ですので聖人や賢者は少なく、愚か者が多いのです。

一の5

天について説明するのならば天命を大きな目で見れば、元・亨・利・貞の四つだけということです。この四つは気の視点から説明することもできますし、理の視点から説明することもできます。

気で説明すると物が初めて生じる時が元であり、季節で言うなら春。物が発育成長する時が亨であり、季節で言うなら夏。物が成熟する時が利であり、季節で言うなら秋。物が取り入れられしまわれる時が貞であり、季節で言うなら冬という事になります。「貞は正にして固なり」というのは、天がいきいきとさせようとすることが確定している所なので「正」といい、ちゃんとしまい込まれている所なので「貞」といいます。

理から説明すると、元は物を生じるという理の始まり、亨は物を生じるという理の通達、利は物を生じるという理の完遂、貞は物を生じるという理の固定になります。

 

文の引用先

中庸章句(第20章)、論語、張載集、孟子朱子文集(巻67)、北渓先生全集(巻40)、

 

続く