目眩帳

主に東洋古典を自分の言葉で噛み砕いてくブログ。たまに俳句を詠んだり、他の記事も書きます

陳淳で朱子学入門 1 北渓字義 一 命(1~3)

(BGM)ブラームス「大学祝典序曲」

今後、「貞観政要 全訳注」と並行してこの本に取り組んでいきます。

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これは、宋学を発展させ朱子学を成立させた朱熹(1130年~1200年)の高弟であった陳淳(1159年~1223年)が行った講義を陳淳の弟子の王雋(おうしゅん)が記録編集したものです。朱子学の入門書として読まれ「朱子学って興味が有るんだけど、どんなこと言ってるの?」という方に読むことをお勧めします。それなりにわかり易く書きます。人名は統一させたいです。

それでは始めます。

 

北渓字義 巻上

(陳淳)性や命以下の各文字は一字ずつ丁寧に読まなくてはいけません。それが終わりましたら今度は全巻を一体のものとして読んで、乱雑なものをすっきりさせなければいけません。そこで始めてはっきりと理解したことになります。

一 命

全9節

一の1

朱子は「命はなお令のごときなり」と述べられていますが、これは「命」が天命や天子の命に良く似通っていることを示しています。天は何も言いませんが、どのようにして私たちに命令をするのでしょうか。天の偉大なはたらきが世界全体に行き渡り、気がこちらやあちらのものにやって来ると、こちらやあちらに物を生じさせるだけなのです。気が物にこういう物になりなさいと命令するのに似ているのです。

一の2

「命」には二つの意味が有ります。理を指す場合と気を指す場合があります。ですが、実際には理は気に外れたところにあるわけでは有りません。私(以下、陳淳のこと)が思うには天地では陰陽二気の働きによって万物が生まれますが、気だがの働いている訳では有りません。必ず働きを主宰するものがいます。それが理です。理は気の中枢に位置するので、天の偉大なはたらきが世界全体に行き渡り万物を生み出しているのです。理を指す場合でも気から離れることはありません。気に沿って理を説明し、混同させずに言ったまでです。例えば「天命をこれ性と謂う」「五十にして天命を知る」「理を窮め、性を尽くして、命に至る」という場合の「命」は、みな理だけを指しています。「天命は、即ち天道の流行にして、物に賦すもの」という場合は、元・亨・利・貞の理が天道となり、この天道が世界全体に行き渡り、物に与えられるのが天命となるのです。

命が気を指す場合について説明すると気にも二つの意味が有ります。一つは貧富、貴賤、夭寿、禍福をについて説明する場合で、「死生、命あり」「命にあらざるなし」という場合の「命」であり、これは天から授かった気に長短・厚薄の不揃いが有ることを指し、命分(運命、巡り合わせ)の「命」です。もう一つは天から授かった気に、清濁の不揃いが有るものを説明したもので、人の持つ賢さと愚かさについて説明したものです。

一の3

人や物が生まれるのは、陰陽二気の働きによるものです。それ以外なにものでもありません。陰陽二気は元々の一気が陰と陽に分かれ、陰と陽が五行に分かれます。陰陽と五行がひたすら分かれたり合わさったりしていくとそこには様々な不揃いが生じます。澄んだものに濁ったもの、厚いものに薄いものが生じます。

人と物とを一緒にして論じますと、もとは同じ一気なのですが、人は気の中の正しいものを受け取っており、物は気の中の偏ったものを受け取っています。人は気の中の通じるものを受け取っており、物は気の中の塞がったものを受け取っています。

人の身体も天地に応じています。頭が丸くて上にあるのは天に似ており、足が四角で下にあるのは地に似ています。北極は天の中央で北にあります。だから人のつむじは頭のてっぺんにありながら後ろの方を向いています。太陽と月の軌道は天の南にあります。だから人の両目は前方にあるのです。海の水が流れ込む場所は海の南の底にあります。だから人の小便は前下方に出ます。人が正しい気を受け取っている理由はここにあります。

物の場合ですと、鳥や獣は目が横向きについており、植物は頭とも言える根が下の方に向かい枝葉が上に向かっています。これらは偏った気を受け取った結果なのです。

人の気は通じており、物の気は塞がっている。人は五行の優れた気を受け取っているので、万物の霊長なのです。物の気は煙が部屋の中に充満している時の様に塞がっていて通じていないので、理や義も分からないのです。

 

 

文の引用先は題名だけ書いていきます。

中庸章句(首章)、論語周易、易程伝、周易本義、朱子文集(巻67)、孟子、大学或問(朱熹)、淮南子荘子礼記書経朱子語類(巻4)、

 

続く