哲学ナックルダスター

主に東洋古典を自分の言葉で噛み砕いてくブログ。たまに俳句を詠んだり、他の記事も書きます

Laozi said so. 19:第65章~第66章

前回の続き

kamata-ei.hatenablog.com

老子道徳経第65章から

 

老子道徳経 第65章

 古の道の体得者たちは、道を用いて民を聡明にしようとせず、素朴な性格にしようとした。民に余計なくだらん知識が多すぎると治めるのが難しくなるんだ。

くだらん自称知識人を尊重して政治をやっても国はダメになっていくだけ。

くだらん知識を排除して政治をやれば国は良くなっていくってことさ。

さっきのこの二つが古の人たちが国を治めていく掟だったんだ。

この掟をちゃんと理解している状態を「玄徳」っていうんだぜ。

玄徳は道と同じで奥深いんだ。世俗的な物とは反している。道にしっかりと従っているということさ。

第66章

大河や大海が谷の間を流れる川たちの王と言われる理由を知ってるかい?水がひたすら遜って低く低くと流れた結果だからだよ。だから川たちの王に成れたんだ。

これと同様に道を体得した聖人は民を治めるような時が有ったら、言葉使いなど細かいところまで遜った態度を取るんだ。民よりも先に行こうとするときも、民を押しのけたりせずに最後尾にいるような控えめな態度に徹する。

こうなると聖人が上にいても、民はその重さを全く感じなくなる。のびのびとできるわけだ。民の先頭にいても邪魔だとは思われなくなる。

こうなれば民は天下の暮らしを楽しむことが出来て上に立つ聖人を嫌な存在だとは思わなくなる。

聖人は天下の誰とも争おうとはしない。だから天下の誰も聖人と争うことが出来なくなるんだ。

 

 

続く