哲学ナックルダスター

主に東洋古典を自分の言葉で噛み砕いてくブログ。たまに俳句を詠んだり、他の記事も書きます

Laozi said so. 9:第38章

前回の続き

kamata-ei.hatenablog.com

さあ、後半に行ってみよう。

老子道徳経第38章から

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老子道徳経 第38章

最上の徳を持った人は自分の持っている徳を意識していない。だから徳を持ってると言えるんだ。

下等な徳を持った人は自分の持っている徳を失わない様にあくせくする。これでは徳とは言えないよ。

最上の徳を持った人は、自分からは何もしないし、何かを成し遂げたとしても成し遂げたという意識が無いんだ。偉大な事であっても彼にとっては自慢するほどのものでもないごく普通のことだからね。

下等な徳を持った人は過剰に意識してあれこれやって、成し遂げたことをアピールして得意がるんだよ。

上等な仁を持った人は、自分から意識して行動するけど、何かを成し遂げたとしても成し遂げたという意識が無いんだ。立派な事でもそれは彼にとっては当たり前のことだからね。

上等な義を持った人は、自分から意識して行動して、成し遂げたことも自分が成し遂げたんだと意識してしまう。

上等な礼を持った人は、自分から意識して行動するんだけど、相手が応じないと、相手の腕を抑えつけてでも無理矢理従わせようとする。

つまり、道が廃れた後に徳が生まれ、徳が廃れた後に仁が生まれ、仁が廃れた後に義が生まれ、義が廃れた後に礼が生まれたということさ。無理やり抑えつける礼なんてものは人の真心が薄まってできた形式的なもので、こいつは世が乱れるきっかけになるんだよ。

物事を予見できる人がちやほやされているけど、道の観点から見れば所詮は時代の徒花よ。多くの人がつまらない者になるきっかけになるだけさ。

だから本当に立派な人は真心の厚い世界にいて、真心の薄い世界にはいないんだよ。道に沿った実質的な世界にいるから、うわべだけの世界にはいないんだよ。だから礼や知なんてものとはおさらばして道の世界に生きるのさ。

 

 

なんか疲れたので今回は1章だけにしとく。

 

続く