哲学ナックルダスター

主に東洋古典を自分の言葉で噛み砕いてくブログ。たまに俳句を詠んだり、他の記事も書きます

Laozi said so. 2:第4章~第7章

前回の続き

kamata-ei.hatenablog.com

老子を一度読まれた方向けの現代語要約。未読の方のことは考えていません

老子道徳経の第4章から。

 

老子道徳経 第4章

道って物は、一見空っぽの器みたいだけど、その中に水やら他の物やらを入れても器が満タン状態になることはないんだ。奥深くて万物を生み出す根源みたいなもんだよ。武器のように鋭いものは挫き、ぐちゃぐちゃにもつれ合ってるものは綺麗に解きほぐし、光輝きすぎて目立ちすぎるものはその光輝きを鈍らし、俗世間の汚いところとも同化することもできるんだよ。俺はこの道が何から生み出されたかって問われると俺にもよくわからんとしか答えられない。多分、天の神様のご先祖様みたいなものなんじゃないかな。

第5章

天地は仁なんて心は持ち合わせていねえよ。万物を祭祀で使う藁人形…そう、祭祀で使われた後は捨てられ通行人に踏まれるあの藁の犬みたいに冷淡にしか扱わない。聖人もまた仁なんて心は持ち合わせていねえんだよ。誰をもさっきの藁の犬みたいに冷淡にしか扱わないんだ。天地ってのはポンプみたいなもんだよ。ただただ動いて空気を送り込むように万物を生み出していくんだよ。天地はこんなもんだよ。だから人間がいくらきれいな言葉を並び立てて饒舌に話していてもいつかは行き詰まるんだ。天地の動きと人の言葉では格が違いすぎるんだよ。

第6章

万物を生み出す力は不滅だよ。母性みたいなもんだよ。万物を生み出す出口ってのは例えて言うなら人間も含む牝の生き物の性器みたいなもんだよ。こいつは絶えることなく存在し続け、万物を生み出し続けていても疲れるなんてことは無いんだ。

第7章

天地は永遠に続くよ。何でかって?生きようという意識が無いからさ。だから永遠で在り続けられる。天地と一体化した聖人は自分のことなど考えないから自分のことは後回しにしたり、度外視して行動する。だからとった行動の結果、人から大事にされみんなから「聖人さん、どうかお先にどうぞ」と譲ってくるんだよ。私心ってものが無くなった後に、本当の自分ってものが完成するんじゃないかな。

 

 

続く