目眩帳

主に東洋古典を自分の言葉で噛み砕いてくブログ。たまに俳句を詠んだり、他の記事も書きます

凸凹大学校 6:大学 第六章 第一節~第二節

前回の続き

kamata-ei.hatenablog.com

「大学」の第六章から

 

大学 第六章 第一節(全4節)

前に述べた、天下泰平とする前に自分の国をよく治めるということは、君主がその国の老人を敬っていると、その影響で民も孝行を始め、君主がその国の年長者を敬っていると、その影響で民も兄に従い始め、君主が孤児を憐れみ慈しむと、その影響で民も互いに団結するようになる。

君子には、自らの真心を物差しにして他の人々を思いやる道がある。

目上の者が持つ悪いところは、目下の者に押し付けないようにしないといけない。

目下の者が持つ悪いところは、自分には持ち込まずに目上の者に仕えなければならない。

前を行く者が持つ悪いところは、自分には持ち込まずに後からついてくる者の前を進んではいけない。

後に続く者が持つ悪いところは、自分には持ち込まずに前を行く者に続いて行かなくてはいけない。

自分の右にいる人が持つ悪いところは、自分には持ち込まずに自分の左にいる人と接しなければならない。

自分の左にいる人が持つ悪いところは、自分には持ち込まずに自分の右にいる人と接しなければならない。

これが、自らの真心を物差しにして他の人々を思いやる道である。

詩経にはこのような詩がある。

「民を慈しむ君子は民の父母」民の好むものは君主として好み、民が憎むものは君主として憎む。これが民の父母というものである。

「切り立ったあの周南山は岩がごつごつしている。輝かしい尹(いん)太師(周王朝で補佐官をやっていた)よ。民はみな、あなたを仰ぎ見る」国を治める者は慎重でなければいけない。道から外れ、感情に任せて偏った政治を行えば、天下に大恥を晒すことになる。

「殷王朝が民に見放されていなかった頃は、天命を受けた王の心に適っていた。殷の末期を悪い見本として戒めなければならない。天命とは厳しく守るのは難しい」民を得れば国を得る。民を失えば国を失うのだ。

第二節

君子は先ずは己の徳が積み重なるよう慎むのだ。己の徳が積み重なると民がついてくる。民がついてくると国土ができる。国土を保ち続けられれば財物も増えてくる。財物が増えれば財物を使った流通経済が盛んになる。徳が根本であり、財物は末端なのである。根本を粗末にして末端に力を入れると民に財物を奪い争うようにと教えることになってしまう。財物をお上の倉に集中させると、民は君主の下から散り散りになっていなくなってしまうが、民たちが充分な財物を持ち、これを流通させると、民は自然と君主の下に集まってくる。道に外れた言葉を発すると、道に外れた言葉が自分に返ってくるように、道に外れて手に入れた財物は道に外れた形で失うのだ。

書経ではこう書かれている。

「天命は不変なものではなく、天子の位はいつまでも維持できるものではない」善であれば天命を得て、不善であれば天命を失うのである。

 

長いからここまで。

残る2節は次回に続く