目眩帳

主に東洋古典を自分の言葉で噛み砕いてくブログ。たまに俳句を詠んだり、他の記事も書きます

坊主のヘイトに論語や集注でぶん殴る

今回は論語のお話。

ツイッターでやり取りしてたことのまとめ。

 

論語 巻第六 顔淵第十二 七章

論語で「民は信なくんば立たず」という有名な言葉が有って、「政治は民衆の信頼なくして成り立つものではない」っていう意味

dictionary.goo.ne.jp

けど、この言葉には前の文章が有って、「民は信なくんば立たず」というのはこの文章の最後の言葉。この前にも「信」って言葉が有るから全文を理解してこそ「信」の意味をとらえられるんじゃないだろうか。

これは論語の「巻第六 顔淵第十二 七章」が出典先。全文を岩波文庫論語から引っ張ってくる。書下し文でいくよ。

www.iwanami.co.jp

「子貢、政を問う。子の曰わく、食を足し兵を足し民をしてこれを信ぜしむ。子貢が曰わく、必らず已むを得ずして去らば、斯の三者に於いて何れかをか先にせん。曰わく、兵を去らん。曰わく、食を去らん。古えより皆な死あり、民は信なくんば立たず。」

これが全文。「民をしてこれを信ぜしむ」の信と「民は信なくんば立たず」の信を一致させよう。

儒学者の「信」

「民をしてこれを信ぜしむ」の解釈が各儒学者によって違いがある。

どう解釈しているかは「論語集注」に記述が有るのでここから引っ張ってくる。

www.heibonsha.co.jp

儒学者の解釈はこんな感じ

朱子「食物倉庫が満ちて軍備が整い、その後で教化が行われ、民は我を信じて離反し謀反を起こさない。」

伊藤仁斎「民に信を教えることである」

荻生徂徠「君主が父母であるのを民が疑わないことである。食物や軍備を充足させれば民が信ずるわけではないが、この両者が欠けても信は得られない。民の父母であるのは仁である。上に立つ者が仁であってこそ民は信ずる。「信」について、朱子が道徳の問題にし、仁斎が教化の話にしているのは、ともに誤っている。」

という感じでバラバラなのですよ。

国民の死より国家への忠誠?いえいえ、先ずは民の安らぎです。

政治を行なう上で大切なものは、食料と軍備と信の三つだと孔子は説く。子貢はこの三つをやむを得ず捨てるとしたらどの順番で捨てるのかと質問したら孔子は「兵、食、信」の順に捨てると答えた。

「古えより皆な死あり、民は信なくんば立たず。」の岩波文庫版現代語訳は「昔からだれにも死はある。人民は信がなければ安定してやっていけない。」となっている。「人はいつか死ぬから食料よりも信が優先なの?命よりも君主への忠誠なの?」って思う人もいるかもしれない。この点は論語集注からもう少し掘り下げてみよう。

朱子「民は食物が無ければ必ず死ぬ。しかし死は人が決して免れられないものである。信義が無ければ、生きていても世に立ちゆかず、死ぬ方がまだ安らかである。それゆえ死んでも民の信頼を失わない方がよく、民の方に死んでも自分の信頼を失わないようにさせる方がよい。」

程子(程頤)「私が思うに、人の情から言えば、軍備と食物が足り、その後で自分は民と信頼が築けることになる。しかし民の徳化という観点から言えば、信義はもとより人が本来持っているものであって、軍備と食物が優先できるようなものではないのである。それゆえ政治を行う者は、率先して民にこれを死守させるように導くべきなのである。危急だからといって棄ててはならぬのである。」

信があるからこそ民は働いて食料ができて生活ができる。貞観政要でも、尭帝の時代に民たちが「自分たちが頑張って耕し、井戸を掘って作物を頑張って作ってるからこうして飢えずに平和に暮らしていける。尭帝?何をしてるんだかわからない」という話が出てきた。これは尭帝が持つ徳の結果なんだよ。政治と言うのは上に立つ者の徳があってはじめて民が安心して生活できるっていうこと。だから孔子も食よりも信が大事と子貢に答え、儒学者達も前述のような解釈をしてる。まずは上に立つ者がしっかりしなさい必死になりなさいという話なんです。ここのところは各儒学者たちも同じだと思う。

鹿児島の浄土真宗ネトウヨヘイト坊主たちは歴史を勉強してんのか?

朱子学ってよく叩かれるんですよ。ネトウヨ勢が中国や韓国を叩くときに「朱子学儒教の弊害」を理由にして叩く。叩く理由は「朱子学儒教は上への絶対服従を強制する」「朱子学は中国人や韓国人の妄想や嘘の押し付けの根源」「中国人や韓国人は朱子学の弊害で歴史を自分達に都合よく捻じ曲げる」とかそんなのばっか。少しでも勉強すればそういうものでは無いって事くらいすぐにわかるのにね。発言力のあるビジウヨさんたちの中韓叩きの根拠で朱子学批判してることを真に受けて垂れ流してるだけ。さっき書いた朱子の解釈も「上への絶対服従ダー」とか言いそう。

「あほか。少しは勉強してから批判して来いよ。王陽明みたいに竹林見続けてノイローゼになってから出直してこい」で済ませたいのだけど、これを浄土真宗の鹿児島教区の僧侶がやってるんだからちょっと見過ごしたくは無い。浄土真宗鹿児島教区のホームページで僧侶がコラムを書いている。そこでは中国韓国批判するときにやたら「朱子学の弊害」や「朱子学中華民族の傲慢さから生まれた」とかめちゃくちゃな理屈で儒教朱子学や中国人韓国人を侮蔑する内容が目立つ。詳しい内容は馬鹿馬鹿しすぎてここで書く気にもなれん。ネットで適当に検索すれば出てくると思うから興味ある人はまあ探して読んでみてって程度。僕自身は仏教も浄土真宗も批判する気は無い。けど、人に安らぎを与えるべき仏教の僧侶がヘイトを垂れ流して憎悪を煽ってるとはどういうことなんだ?HPでは「あくまでも僧侶個人の見解です」って書いてるけど、こんなデタラメヘイトを放置したままだと浄土真宗鹿児島教区はこれを容認していると捉えられても仕方がないぞ。

第一、朱子学の弊害うるさいんだよ。清代に発達したのは考証学だし、五四新文化運動時には儒教は古き悪しきものとして散々批判された。毛沢東の時代はどうだ?毛沢東儒教を弾圧する側だったぞ?文化大革命の時に儒教はどうだったか?文化大革命の頃はどいつもこいつも毛沢東語録を手にしてビンゴパーティーにあけくれてたじゃねえかよ(それはモンティ・パイソンの「サイクル野郎危機一髪!」ネタだ!)。批判は自由だが批判するならお前ら少しは歴史や朱子学の勉強してみろよ。お前らだって論語論語集注くらい読めるよね?読めないというなら頭の中を疑うぞ。お経も読めなくで法事の時とかパソコンに音源入れて流してるの?

朱子学の弊害言うなら少しは勉強してきてください

他にも酷い奴がいたね。「朱子学の最大の弊害は科挙朱子学を日本に持ち込まなかった江戸幕府は立派だった」ってトンデモな主張。はじめこのツイートを見たとき並行世界の住民が来たのかと思ったよ。

ここでいちいち訂正するのもあほらしくなる。

元々朱子学って日本では僧侶が学んでいたんだけどね。それが本格的に日本に広がり始めたのは江戸時代。行き届いたのは明治時代。

中国政府や韓国政府の方針や動きに「ちょっと待ってくれ」といいたくなる時は僕だってありますよ。けど、それだけで中国人や韓国人の排斥や侮蔑に持ち込むのは違うでしょ。そういうのを日本の坊さんが煽ってどうすんだよ。人々に不安や憎悪でなく安らぎを与えるのが仏僧の役目じゃないのか?日本の仏教に対しての朝鮮半島や中国の影響は大きかった。過去にどれだけの交流があったか理解してんのか?自分たちだけでなんでもなしとげたと思ってんじゃねえぞ鹿児島のヘイト坊主ども。

結局は個人の人格なんですよ

私だって過去に中国人や韓国人に嫌な目に遭ったことは有りますよ。けど、それ以上に日本人に嫌な目に遭ってますね。

今の職場で下の立場の者への絶対服従を強制しているのは日本人ですねえ。

中国人も働いてますが、日本語も堪能で頭も良くて優しい人ですよ。

どっちが人として尊敬できるかと言ったら…言うまでもないでしょう。

結局は個人の人格の問題ですよ。

あ、今その中国人の方から

「釜田さん、中国古典好きでしょ。だったら『紅楼夢』読まなきゃだめですよ。あれはほんと面白いから是非読んで」と言われております。

お勧めしてくれるのは嬉しいのですが辿り着けるのはいつの事やら…。

 

終わり

 

今回、この本もちょっと使った。

www.chikumashobo.co.jp