哲学ナックルダスター

主に東洋古典を自分の言葉で噛み砕いてくブログ。たまに俳句を詠んだり、他の記事も書きます

貞観政要かみ砕き ㉕「巻二 納諫 第五」第一章~第二章

前回の続き

kamata-ei.hatenablog.com

 

 

「巻二 納諫 第五」

太宗だって時には我欲にとらわれた行動をする時が有ります。

これは、そんな時の太宗を忠臣たちが諫めた話を集めたもの。全十章。

 

 

第一章 他人の妻を奪うこと

太宗は王珪と話をしていた。その時太宗のそばに側室の女性がいた。彼女は元は皇族(太宗の父の従兄弟の子)の妻だったが、彼が謀反を起こして敗れると、彼女をとりあげて、自分の側室にしていた。

太宗は側室を指差して王珪に言った。

太宗「俺に謀反を起こした王は不道徳で、彼女の夫を殺して自分の妻にした。そんな暴虐な者が身を滅ぼさずに済むわけがない」

王珪の諫言と太宗のその後

王珪は一歩退いて太宗に質問をした。

王珪「陛下は、先程の話の王が彼女を奪ったことを正しいとお考えですか?それとも酷いことだとお考えですか?」

太宗「人を殺してその妻を奪うなんて酷いに決まっている。そんな質問を何故俺にするんだ?

王珪「私が聞いた話では、昔に書かれた本には次の様に書かれています。『ある殿様がある国に、土地の長老に「この国はどうして滅んだのか?」と尋ねました。長老は「この国の殿様は善を善として悪を悪としたのが理由です」と答えた。殿様は「それならば良い殿様だったではないか。どうして滅んだのだ?」と質問し直しました。長老は『あの殿様は善を善としましたが、善に基づいて動くことが出来ませんでした。悪を悪としましたが、その悪を取り除くことが出来ませんでした。だから滅んだのです』と答えた』という話です。今、陛下は彼女をおそばに置かれています。私は陛下が先の話の様に悪を取り除かないのをよしとしているのではないかと思ったのです。もし陛下が、他人の妻を奪うことを悪いと思うのなら、それこそ悪い事だと承知で、悪を取り除かないでいることになります」

太宗はこの話を称えて、すぐにそばにいる女性を親族のもとに帰したのだった。

 

第二章 どんな悪事でも結果は同じ

太宗は勅令を出して、洛陽(首都長安から東に約400kmほどにある都市)にある宮殿を修理させて、自分の行幸に備えさせようとした。政策訂正役の張玄素が太宗に手紙を出して以下の様に諫めた。

張玄素(ちょうげんそ)の諫言~反対理由その1

張玄素の手紙「陛下の英知は万物に及び、天下を手にされています。陛下の命令に応じない所はありません。陛下が望むものは全てお望み通りとなります。私が密かに思いますに、昔、秦の始皇帝の政治は周王室の威厳を借り、秦以外の国々の繁栄に基づき、その政治を後の世にも永遠に伝えようとしましたが、息子の代になってあっさりと滅びました。その理由は、贅沢三昧で天の意思に逆らい、多くの民を苦しめたからです。天下というものは力ずくで抑えつけることは出来ず、神々は祀っただけでは統治の頼りにはならないことがわかるでしょう。倹約をして、税を軽くすることを慎んで努めることで国はしっかりと保ち続けられるのです。今は多くの帝王の後を受けてすっかり疲弊した世の中です。それを礼によって建て直すのであれば、陛下御自身が皆のお手本になるべきです。洛陽への行幸はまだ行う時期ではありません。なのに宮殿の補修をさせようとしています。皇族たちも、陛下の真似をして宮殿の補修工事をするのは間違いないでしょう。そうなると多くの民が労役に駆り出される事になります。そんなことは疲弊した民たちが望むわけが有りません。これが私が反対する第1の理由です」

反対理由その2

手紙の続き「陛下が洛陽を平定されたとき、高層建物や広大な宮殿は全て壊して廃棄させました。天下の民たちは喜び、陛下の事を尊敬しました。なのに、初めは嫌っていた贅沢を今になって復活させるとは何故なのでしょうか?これが私が反対する第2の理由です」

反対理由その3

手紙の続き「これまでの陛下は『今すぐに巡幸にいくぞ』ということはしませんでした。今、洛陽まで巡幸されるのは急ぎの用でもないのに費用の無駄遣いをするだけです。国に二年分の貯えも無いというのに、行幸により長安と洛陽の親交を深める必要があるのですか?宮殿補修のための労役をやりすぎると、すぐに民たちの恨みの声が起こることでしょう。これが私が反対する第3の理由です」

反対理由その4

手紙の続き「民たちは隋滅亡後の戦乱の影響で財産をすっかり失ってしまいました。今は陛下の恩恵でなんとか生きていますが、それでも飢えと寒さにより生活は不安定です。なのにまだ行幸していない洛陽の宮殿を修理して、ただでさえ疲れている民たちの力を奪う必要があるのですか?これが私が反対する第4の理由です」

反対理由その5

手紙の続き「昔、前漢の初代皇帝は洛陽を首都にしようとしましたが臣下の意見を聞き入れて直ちに首都を長安にしました。洛陽は中国の中心に在り、各地からの貢物が等しく入ってくる場所でした。だが、国を守る重要拠点として考えると洛陽は長安には及ばない場所だったのです。私が思いますところ、陛下は疲れた民たちを導き、人々の悪いふるまいを改めましたが、それでも日がまだ浅く、平和で穏やかな世の中にはなっていません。このような事情を考えると、どうして今、長安から遠く離れた洛陽へ行幸をする必要があるのでしょうか?これが私が反対する第5の理由です」

私はこの宮殿が建てられる様子を見てきました

手紙の続き「私が隋に仕えていた頃、隋がこの洛陽の宮殿が建てられるのを見てきましたが、柱や他の用途に使う宮殿を組む為の木材は大きく派手なものばかりでした。材料に使う大木は洛陽近郊で伐採できるものでは無く、多くは南に1,000km離れた地から切って運んできました。一本の柱を運ぶのに2,000人が使われました。台車の車輪の中心は鉄で作られました。木で作ると摩擦ですぐに発火してしまうからです。これだけでも多くの費用を必要とします。柱を運ぶ以外の費用も考えると途方もない費用が掛かることになります。私が聞いた話では『昔から、広大な宮殿や高層建物が建てられると民は離散した』とのことです。そして隋の洛陽の宮殿が完成した後、隋の民たちは離散しました。今回、陛下が使われる労力はどれ位のものになるのでしょうか?戦乱で衰えた後に傷つき疲れた民を使役し、多大な費用をかけて、昔の王たちがもたらした弊害と同じ道を進もうとしているのですから、これはおそらく隋の煬帝よりも酷いと言えるでしょう。心からお願いします。昔の殿様が賢者に多くの宝物を見せつけたら笑われた話が有りましたがそのような真似はしないで下さい。そうすれば世は幸せになるという事です」

太宗の質問と張玄素の返答

太宗は張玄素に質問をした。張玄素はこれに答えた。

太宗「お前は俺の事を煬帝よりも酷いと言ったが、暴虐で知られる夏や殷の最後の王と比べたら、俺はどうなんだ?」

張玄素「もし、洛陽の宮殿を修理させたら『どんな悪事でも結局は乱世になってしまう結果は同じ』という事になるでしょう」

太宗のため息と魏徴のため息

太宗「俺の馬鹿さ加減もついにここまで来てしまったのか」

太宗はこう言ってため息をついた。そして房玄齢にこう指示した。

太宗「今、張玄素が言ったように洛陽の宮殿はまだ修理をする時期ではない。もし今後、事情が有って俺が洛陽に行く時が有り、俺はオンボロ宮殿しかない洛陽で雨ざらしになって座ったとしても何の苦にもしない。民たちを労役に駆り出すのは即時に中止だ。ところで身分の低い者が高い者に対して上の意向に反することを言うのは昔から生易しいものでは無い。忠義の士でなければ、このような諫言はできないのだ。昔の書にも「多くのイエスマンは一人の直言には及ばない」と書かれているではないか。張玄素に絹を贈りなさい」

このやり取りを見ていた魏徴はため息をついてこう言った。

魏徴「張玄素には天子の意向をも転じてしまう程の力がある。昔の歴史書にある「仁有る者の言葉は利益が広く及ぶものだ」という言葉は、まさに張玄素のことをいうのだろう」

 

 

今回は長くなった。

 

続く