哲学ナックルダスター

東洋哲学の視線から色々と見てきます。それ以外の視線でも。

SDGsと荻生徂徠の「政談」 ①SDGsと問題点。

流行のビジネスを古典で解析する…本来やりたかった事にようやく取り組みます。

 

今回は「SDGs」を荻生徂徠(1666年~1728年2月28日)の「政談(1726年)」で解析していきます。

 

先ず、「SDGs」について説明します。

 

SDGsに関してはこちらのサイトに書かれています。

imacocollabo.or.jp

17の持続可能な開発目標を定め、169項目のターゲットを設定。これを2030年までに達成してより良い世界を作ろうというものです。

2015年に国連サミットにて採択されました。国連加盟193か国が参加しています。日本も参加しています。

 

私もネットだけでは何ですので、この解説本を購入しました。

www.natsume.co.jp

帯に有るさかなクンのイラストが購入の決め手になりました。

わかり易い本です。国内で実際に取り組んでいる団体も紹介されています。

 

SDGsを勉強した私の感想…それは「SDGsは現代版の南宋時代の朱子学である」でした。

 

朱子学南宋時代の儒学者朱熹(1130年~1200年)が構築した儒教の一派です。

朱子学の目標は聖人になること。それを全ての人が達成すれば世の中は素晴らしくなるという考えです。

この本に書かれている文章を引用します。これこそ朱子学の目標とするところです。

www.iwanami.co.jp

 

やがて朱子は次のように設問し、次のように答える。

国を治め天下を平らかにするのは、天下諸侯のことである。卿太夫以下は関係ない。しかるに『大学』は「明徳を天下に明らかにする」(=平天下)ことを説くが、それは「思ウコト其の位ヲ出」(『論語』憲門)づるものであり、分を越えるというとがを犯していはしないであろうか。それを真の学とすることが、どうしてできようか。

答えは

君子の心は廓然として大公、天下の一物としてわが心のまさに憂うべきところにあらざるはなく、一事としてわが職のまさに担当すべきところにあらざるはない。賤しい匹夫の身分であっても、君を堯舜にし民を堯舜(の民)にするしごとは、わが分の範囲内のことなのである。(『大学或問』)

素晴らしい王にふさわしい民になるため、皆で努力しましょうというのが朱子学のテーマなのですが、私はこれはSDGsに非常に似ていると思いました。

朱子学SDGsも上から下まで全ての人が意識して取り組まなければ達成は困難であると考えています。

 

現在、懸命にSDGsに取り組みビジネスにしている人達を批判する気も馬鹿にする気も有りません。

 

問題を斬っていきたいのです。

 

私が購入したSDGsの本に紹介されている実例は、大半が地方自治体や民間団体や中小企業でした。多国籍企業や政府としての取り組みがなかなか見えてこないのです。

 

危惧しているのは権力者ほど、「SDGsウォッシュ」をするのではないかという事です。

この記事で解説されています。

www.huffingtonpost.jp

 

「貧困をなくそう」とうたいながら、人権侵害による搾取。「質の良い教育をみんなに」と言いつつ、多くの人が教育を受けることを断念させる環境…挙げたらキリが有りませんが、「いいことやってますよ」というアピールに使われているだけではいけないのです。

 

私は朱子学的とも言えるSDGsの問題と改善の分析にこの本を使うことにしました。

bookclub.kodansha.co.jp

 

ようやく全体の四分の一の解析が終わりました。

これを選んだのは、荻生徂徠がアンチ朱子学の古学派であることと、政談に書かれている問題が現代にも当て嵌まる物が有ったからです。

徂徠は儒教を「王が進む政治の道」と説いていました。

SDGsウォッシュは民間団体やローカルビジネスよりも政府や多国籍企業に起きやすい予感がします。実際にそうではないだろうかという事も見られます。

 

次回は、荻生徂徠について、そして江戸時代と現代が共通して抱えている問題点について少しづつ説明しようと思います。

(続く)